罪責感―それは何か?
辞書は、罪責感を、“本当であっても、または想像から来たものであっても、犯罪に対しての責任感、または激しい後悔、法律に違反する罪、不正行為、etc.,”と定義します。罪責感は、私たちを乏しくさせ、思考と行動に対して有罪判決を育む人間の意識の部分です。罪責感は人間に与えられた特有な、言い換えれば贈り物と言っても良いでしょう。しかし、私たちの殆んどはそのように受け止めず、罪責感と対応するよりはむしろ、それを押しつぶそうとします。しかし、罪責感は滴くが石を打ち続ける音のようにうるさく囁く声として、私たちを低い価値基準に定めようとします。しかし、それは誰を模範とした価値基準なのでしょうか?
適切な光の中で罪責感を見れば、それが私たち人間の状態であるという安全弁だと理解できるでしょう。罪責感は、正しい方法、または間違った方法で取り扱う、または何が良いことで何に価値があるかに基準をおくことを意味します。罪の意識の“遺伝子”とは私たちが生まれ持っているものです。この真実の証から小さな子供の例を観察してください。
罪責感―ブンブンとうるさい問題
私の娘は18ヵ月です。ダイニングルームの窓側の椅子を這い上がるのが大好きです。夏のある日、他の子供達も家中と外を出たり入ったりしていたので、ハエも出入りする厄介な問題となりました。ハエは椅子の上にある見晴らしの良い窓が好きなようでした。娘はハエに魅了されていたので、つかまえることに夢中になっていました。私はそんなことをして欲しくないとので、機会があるたびに何度も“ダメです”としかっていました。彼女がハエをつかまえようとしているのを見つけたときは、いつでも注意することにしていたのです。ある日、私が部屋に足を踏み入れたとき、彼女が何とか一匹のハエをつかまえたところを見つけました、娘は私を怒らせる為にすぐさまつかまえたハエを口の中に入れたのです。“ハエはどこにやったの”と聞いても彼女は首を横に振るだけでした。彼女の顔には罪責感が表れていて、ブンブンというハエがすぼめた口の中から聞こえてきました。ハエを逃がすために小さな口をあけると、何処かへ飛ん行きました。罪責感とはこのハエのように私たちが対処するまでブンブン言い続けます。
罪責感―改善法
罪責感に対処する正しい方法と間違った方法があります。私の娘がしたように、ハエを口の中に隠そうとすることは効果がありません。罪責感があるならば、私たちは神の基準に達することができないのだから、ただ神の基準とそれに同意することが私たちを罪責感から解放される正しい方法だと言う神からの呼びかけです。
あなたにいつも罪の意識があるならば、どうしたら良いのでしょうか?私は、私自身の経験だけから話すことができます。罪の意識は私を罪びとであると認識させるだけでした。(ローマ人3:23)また自分自身ではそのことに対して何もできないことも認識しました。
私は自分の思いから罪責感を取り除く為に、ごめんなさいと言うか、私が傷つけた人たちから許しを求めます、だからと言って罪責感をおさえることはできませんでした。ある人が私に罪責感の治療法について話してくれました。非難されることなく生きることができる、そして、ある方を信頼することによって情動的感情に調和を取り入れることができると教えられました。ある方とは主イエス・キリストです。その後、私はイエスを信じて贈り物である恵みの救いを受け入れイエスに私の人生をあけわたしたのです。
今私は信仰の成長のプロセスを可能としてくれるイエスとの関係に従事しています。そして罪責感を持つとき、神との交わりが正しいかどうかをチェックして、もし私の人生に罪があるならば、その罪を神に告白します。そうすることで私は神の交わりの中を歩むことができると共に、罪責感もなくなるのです。しかし、イエスとの交わりがあるからといって、私が完全なわけではありません。なぜなら、私はまだ罪を犯すからです。しかし、イエスを信じることでその真理が、私を支配する激しく非難する罪の意識の情動的感情から解放してくれるのです。もっと正確に言うと、信仰によって歩むとき、彼は罪責感から私を解放してくれます。神に信頼することのみが罪の定めと罪の意識の支配から解放される本当の答えです。
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